コトバのチカラ

選挙が近くなり、メディアでも選挙について取り上げられる機会が多くなってきました。

各党、各候補者が、様々な言葉で自分たちの政策や考えをアピールしています。
それはそれで結構ですが、「綺麗な言葉」が並べ立てられることには違和感と危惧を抱いています。


例えば、「自由」。
なんとなく、すばらしいもののように感じます。
なんでも(他人に迷惑をかけない範囲で)やっていいんだ、と。
自分の人生は自分で選択する。その結果も自分の責任だ、と。

しかし、そのイメージには重要なことが欠落している気がします。
みんなが同じ条件で、「よーいどん」なら、確かに好きに選べばいいし、それが自分の責任かもしれません。
でも、人はみな同じではありません。そして、社会の中には、まだ歩けない子供もいれば、お年寄りもいるのです。また、運命は自分の努力や能力だけで決定されるものでもありません。不慮の事故だとか、天災だとか、さまざまなことが人生に影響してきます。
そういう社会の中の全ての人を「自由」の中に放り込んでしまうことがいいとは到底思えません。

つまり、「自由」とは、必要な状況を準備した上で「好きにやっていい」ということであるべきだと思うわけです。
そのために必要なものが、例えば「規制」なわけですが、最近は「規制緩和」「聖域なき構造改革」が錦の御旗のようにもてはやされている気がします。困っている人や社会的に弱い立場の人をサポートする仕組み(「規制」など)があってこそ、「自由」が本当の意味で活かされると思うのですが…。


「公平」も同じような理由で気になります。
一つのケーキを皆で等分に分ける。それが公平なわけですが、それもやっぱり、「みんなが同じ状況にある」ということを前提にしている考え方です。育ち盛りの人や、普段あまり食べられない人に大きめに切ってあげることのほうが大切だと思うのですが。
皆から同じだけ取る消費税は「公平」な負担になるから、という主張がなされますが、僕に言わせればそんなのナンセンスなわけで。

おっと、長文になってしまいました。今日はこの辺で。