納豆騒動に思ふ

今日はこのネタで日記を書く人がたくさんいそうです。


我が家は、テレビもあんまり見ないので件の番組も観てないのですが、いつも通り週1パックの納豆を食すという生活。
母は近くのスーパーでパートをしているんですが、ここ数日は納豆はもちろん、惣菜コーナーの納豆巻きまで全部売り切れだったそうです。こんな田舎でも(田舎だからか?)。
「ついでに甘納豆でも置いておけば?」と、思わず言ってしまいました。


まず「食べるだけで痩せる」なんていうのがうさんくさくてならないわけですが…。


まぁ、踊らされやすい人達にはいい薬だったかも。納豆食べても毒にはならない(だろう)し。
フジテレビの行いに感謝すべきかもしれません。これまで信じてきたものだって、これでどうだか分からなくなりました。みの○んたの言うことも。


ブランド物好きとか、お金持ち(僕たちの職業にも?)の外車好きとか、みんな同じ感じですね。「どこかの偉い人が評価してくれた価値をそのまま鵜呑みにしてる」っていうか。
本当に大切なのは、「自分にとってどれだけの価値があるか」を「自分自身で判断すること」だと僕は思うのですが…。


話は変わって、昨今の、一流(と言われる)企業の不祥事の連続ですが、どうも構造的な問題があるような気がします。昔、食肉の原産地偽装とかもありましたけど。
ホリエモンに代表されるような「儲かればいい」というモラルの問題がよく取り沙汰されますが、僕はそうじゃないような気がしています。


「危ない橋を渡ってでも『儲けなければならない』」という強迫的なものを、感じるのです。それは働く人達の精神にもそうだし、ニュースとして社会に露出されてくる部分からもそうですが。
それが、企業という集団を駆り立てるのだと。


また、それは、アメリカのような、「事後調整型」社会への移行の前触れでもあるのかもしれません。
僕は、かつての日本のような「事前調整型」社会が好きなのですが…。